育つぶ『節分の豆まきで思った、どうでも(?)いいこと』
昨日、ちびと豆まきして思った。
こどもを授かった家庭は、年中行事に敏感になるよな、と。
パパが大きくなってからは意識もしなかった行事はいくつかあるけど、節分はそのうちの一つ。嫁と一緒に豆をまいたこともない。
でも、こどもがいれば事情は異なる。
こどもを楽しませてあげたいし、そういう習慣が日本にあることを学んでほしいと思うのが親心だろう。
もう一つ思った。
ちびの利き腕はどっちなんだろう?
普段お箸を使うのも、お絵描きをするのも右だけど、豆をまいたのは左だった。
公園でボール投げをするときは右でも投げるし、左でも投げる。
まぁ、利き腕がどちらかなんてことはいつか自然に分かるだろうから、それはそれでいい。でも、投げる要素があるスポーツを始めるときは、その時点でどちらか決めなきゃいけない。
そういうときって、どうやって決めてるんだ?
パパがこどものときに、自分で右だ、左だ、と選んだ記憶はない。
そのときには右で投げてたから、自然と右利き用の野球グローブを買ってもらって、それが当たり前かのように右で投げてたんだと思う。
利き腕が、人生を左右する程の重要さがあるかと言われれば、そうでもないのかもしれない。でも、利き腕が結果を左右するようなことは、多少なりともあるはずだ。パフォーマンスも違うだろう。脳への影響もあるんだろう。
昔と違い、文字は右で書くよう強制されるなんてこともないだろう。
だから本人に選ばせたい。そんなことを思っている。
親の勝手な押しつけにならないようにしたい。
周りから見ればどうでもいいことなのかもしれないけど、こどもを育てる側に立つと結構そういうどうでもいいことまで気になってしまうものである。
なんで、ウチの子は左側ばかり向いて眠るんだろう。
なんで、ウチの子は外出先でトイレに行くのを嫌がるんだろう?
どうでもいいことかもしれないけど、気にしてしまうものだ。
親バカだから?
まぁ、親バカであることを嬉しく思っているので、それは全然構わない。
それだけ、ちびのことが好きなのである。
好きだったら相手の一挙一足が気になるはず。
ああ、そういうことなんだな。
自己完結してしまった。